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いよいよ登場!・・・メビウス

ゴルフフェア以降、大変お待たせを致しましたが、ついに来月グリーンオン・メビウスが発売される予定となりました。
発売前ですが、このブログで特徴・機能の一部をいち早くご紹介したいと思います。
特徴は3インチカラー液晶GPSキャディとしては最薄(11mm)・最軽量(70g)で直感操作できることです。

特徴は3インチカラー液晶GPSキャディとしては最薄(11mm)・最軽量(70g)で直感操作できることです。

操作はタッチパネルで行いますが、GPSキャディモードでは1画面に必要な情報がすべて表示されるので、ほとんど操作することなくご利用いただけます。

メイン画面

また直感操作なのでたとえば、レイアウト部分にタッチすると、レイアウトが表示され、現在地と同心円が表示されます。
また、ハザード距離表示部分にタッチするとハザード情報が表示さるという具合です。

レイアウト画面ハザード情報画面

万一、操作がわからなくなったときはホームキーでメイン画面へ、メニューキーでプレイメニュー画面に簡単に戻ることができます。
詳細は今後ホームページ上に公開していきます。
発売までもう少し、楽しみにお待ちください。

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ザ・ゴルフウォッチ[横型]のパンフ完成!

先日の3連休は、大型の台風18号が日本列島を縦断し、各地でも大きな被害を残したようです。今回、被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。

私もゴルフウォッチ横型の製品版サンプルを片手に、近所のゴルフ場に行ってみようかと思っていましたが、ものすごい雨と風の為、家でおとなしく過ごしながら腕に付けて眺めていました。
今回の横型は縦型のようなブレスレットタイプではなく、ベルトを別パーツにする事で手首へのフィット感が向上いたしました。
かよわい(笑)私の手首にもピッタリです!

手首にもピッタリ
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そして、本機のパンフレットもついに完成しました~
パンフレットの表面
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↑表面です。(実際は三つ折りです)

パンフレットの表面
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↑中面です。

特徴の説明はもちろん、今回はさわやかでスタイリッシュに構成しております。
近日中に、大手スポーツ量販店、ゴルフ専門店、大手百貨店にてお目見えするかと思いますので、お手にとってご覧いただけますでしょうか。

予約受付も開始しておりますので、ぜひぜひご予約お待ちしております。

ザ・ゴルフウォッチ[横型]のご注文はコチラから

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2020年東京オリンピック開催決定

朝晩が涼しくなり、以前よりは過ごしやすい日々が続いておりますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。

さて先週、2020年に東京でオリンピックが開催されることが決定し、日本中に歓喜が沸き起こりました。2016年のオリンピックで正式競技として復帰するゴルフですが、早くも東京オリンピック開催時のゴルフ会場が決定したことはご存じでしょうか?
その会場は、名門中の名門と言われる「霞ヶ関カンツリー倶楽部」で開催されます。

霞ヶ関カンツリー倶楽部
※ 画像はGDOさんからお借りしました

私のような関東地区に住んでいる人間にとっては近場ですので、チケットを手に入れられるか全く分かりませんが、チャンスがあれば是非とも観戦したいと思っています。

今までプロのトーナメントは何回も観戦に行ったことがあり、会場などの雰囲気は何となく分かりますが、オリンピックだと会場がどんな雰囲気になるのか想像も出来ません。異様な緊張感が漂っているのかもしれません。さらに国を背負うという使命があるのですから、もしかするとトーナメント時よりも更に真剣または鬼気迫るような選手の姿が見られるのかもしれません。想像が過ぎるとは思いますが、今から楽しみで仕方ありません。

当社が応援している有村プロも、もちろんオリンピック出場を視野に入れられていると思います。皆さんもご存じの通り、有村プロは今現在アメリカツアーを主戦場としています。賞金ランキングの上位を狙うと同時に、アメリカ女子ツアーにおいて日本人選手が獲得したことのない「ルーキーオブザイヤー」というタイトルを目指して頑張っているそうです。現時点ではランキングで3位につけているとのことで、ぜひとも日本人初の快挙を成し遂げてもらいたいと思います。
まずはこのタイトルを足掛かりに、ツアー優勝・賞金女王とステップアップをしてもらい、2020年東京オリンピックの舞台で活躍をして頂きたいと願っております。

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ザ・ゴルフウォッチ[横型]先行予約開始

ザ・ゴルフウォッチ[横型]先行予約開始
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本日のグリーンオンメールマガジンの号外をご覧いただけましたでしょうか?
ザ・ゴルフウォッチ[横型]、本日から予約開始でございます!

長らくお待たせし、大変申し訳ございませんでした。
本年度のジャパンゴルフフェアでの発表以来、いつ発売なのかというお問い合わせを何度もいただきましたが、ようやく詳細を発表することができました。

注文を担当する者に聞いた情報なのですが、メールマガジンを本日8:00に配信し、8:04分には最初の注文があったようです。
長らくお待ち頂いた事がわかりますので、お待ち頂いたことに深く感謝申し上げます。

機能面につきましては、商品詳細ページに記載してありますので、ご覧頂ければ幸いです。

時計表示の白黒反転機能

機能面以外で私のオススメのポイントは、時計表示の白黒反転機能がついたことですね!
右下のOKボタンを押すだけで、気分に合わせて簡単に変更ができます♪
黒の文字盤もクールで良いですよ!

入荷、検査が終了次第、9月中旬より順次出荷致します。
横型だからできる使いやすさを是非とも体感してみてください!

ザ・ゴルフウォッチ[横型]の注文はコチラ

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2グリーン方式の起源はいつ?

2グリーン方式の起源はいつ?

昼夜寒暖の差が激しくなってきました。私もうっかり風邪をひいてしまい、周りの方にうつすまいとマスクをして仕事をしています。社会人として一番基本的な体調管理を怠るとは、まだまだプロフェッショナルとは言えないですね。精進致します。

さて今回は日本特有のコース運用、2グリーン方式についてコースデータ担当者の立場からお話したいと思います。

グリーンオンのコースデータは専門の航空写真業者から上空から撮影したゴルフ場の写真を購入してデータを作成しています。今登録されているゴルフ場のほとんどはそのように作成していますが、稀に改修前の写真しかない場合にゴルフ場に行って実際に測定を行う必要があります。

今でこそ国内99%以上の適用ゴルフ場数を誇っているグリーンオンシリーズですが、以前は直接ゴルフ場にお願いして、現場測量のために当社スタッフがお邪魔していました。私もGPS受信機を持って、ラウンドしているゴルファーの邪魔にならないよう細心の注意を払って測定を行っていました。

お邪魔したゴルフ場の中で苦労したのが、2グリーンホールのあるコースです。グリーンオンに表示されるフロント、バック、センター3つのポイントで立ち止まり、GPS受信機で緯度経度を記録するのですが、グリーンが2つあるため、単純に倍のポイントが必要になってきます。しかも、ポイントを取得した後に、1グリーン化に改修される事もあり、せっかく取得したポイントを修正のために削除しなければならないこともありました。
日本特有の気候による運用方法とは言え、担当している身としては歯痒い部分がありますね。そのジレンマは、ゴルフを普及させようとした先人の方々も抱いていたようです。以下に「日本の2グリーン事始め」という月刊ゴルフマネジメントさんの記事がWebにありましたので、引用させて頂きました。私も拝読しましたが、非常に感銘を受けました。是非ご覧頂き過去の偉人達の足跡に触れてみてはいかがでしょうか?

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■ 日本の2グリーン事始め(金田 武明)

2グリーン・コースが存在するだけでなく、公式競技の場として市民権をもっているのはゴルフ先進国の中では日本しかない。
確かに2グリーンの存在理由はある。Transitionゾーンでは、寒冷芝には夏の高温、高湿がきつく、コーライ芝の休息期間(秋から春)が長過ぎる。

・ 日本式と米国式

日本では2グリーンが発達し、米国ではグリーン構造そのものを根本的に研究したこの二つの国の考え方は妙な例えだが蚊への対処でも大きく異なる。日本は蚊に対して美しい蚊張を考え、蚊張の装飾に贅をこらした。米国は蚊そのものの発生原因をつきとめ、水たまりの処置、殺虫剤を開発した。
これと似た考え方が、日本の2グリーンであり、米国は60年の年月をかけて開発したUSGA方式だった。長年の研究蓄積の成果であるUSGA方式の導入によって、日本のゴルフ界もよりよいグリーンが存在するようになった。

・ 日本でのエバーグリーン

戦前のエバーグリーンといえば相馬孟胤子爵の名をあげねばならない。1929年、東京クラブのグリーン委員長を仰せつかった相馬は、以前にもまして、コース、特に芝生に責任を感じ始めた。
コースを歩き回って観察するのが相馬の日課になっていたようだ。そして、その年の11月末、枯れた芝草の中に常緑芝をみつけたのである。後日わかったことだが、1919年頃、岩崎小弥太男爵が、英国から洋芝の種子をとりよせ、何となくあちこちに播いた芝生の生き残りだった。相馬氏は、常緑芝を採収し培養し、翌年その種子を帝国大学植物学教室で鑑定を受けた。これが、日本でのエバーグリーン研究のはじまりだった。
偶然にも、この年(1930年)12月1日にチヤールス・アリスンが日本に到着した。目的は、東京クラブの新設コース、朝霞コース設計のためだった。

・ 霞ヶ関西コースのベント・グリーン

霞ヶ関の発足は予想以上の会員数を得たため、1930年には西コース造成案が提出され、しかもクリーピング・ベントのグリーンという画期的なものだった。
相馬氏の知識は高かったが、現実には、霞ヶ関の西コースのベントグリーンが、初の本格的な作業だったと考えられる。
相馬氏は芝生の種類を決定するにあたり、過去5年間の気象条件をアメリカに送り、リコメンデーションを依頼している。結局、このほかにも、駒沢での実験の結果を考え、慎重に種子を選んでいる。

・ 日本のエバーグリーン元年

1932年は、日本でエバーグリーンが美しい姿を見せ、ゴルファーを魅了した年だった。しかし、残念なことに、エバーグリーン元年は、その夏の酷暑のおかげで2グリーン元年にもなってしまった。

1932年
朝霞 5月開場 8月ブラウン・パッチ発生
霞ヶ関・西 6月完成 8月全滅
広野 6月19日開場 8月問題発生
相模 4月グリーン播種 8月全滅

東京クラブは、ブラウン・パッチが発生したものの、相馬氏の献身的なる努力のおかげで若干延命した。しかし、霞ケ閑は、ベントグリーンを直ちに閉鎖し、西コースに高麗芝の第二グリーンを造成するのである。
朝霞コースは、1934年にコーライ芝のサマーグリーンを造成したが、相馬氏は断腸のおもいだったようだ。相模は32年、8月にグリーンが全滅すると、すぐに自生芝、絹芝を養生して予備グリーンをつくりナーセリーでケンタッキー・ブルーの成育にも成功した。
1935年になって、霞ヶ関は、本グリーンをコーライ芝とし、第二グリーンをベント芝という2グリーンのパターンをつくりあげた。

・ 36年2月23日、相馬氏の急逝

エバーグリーンの大黒柱で羅針盤だった相馬氏の急逝は、ゴルフ界にとって大きな衝撃。しかもその3日後、2・26事件が起こった。
社会環境はゴルフにとって悲観的なものに急変して行く。このクーデターは大雪の中だったことは、私も記憶しているが、霞ヶ関東コースの雪は50日間も融けなかった。暑さに弱いベントだけでなく寒さに弱いコーライ芝を経験することになった。
TransitionZoneの難しさを急に経験したのが、日本のゴルフ界だったのである。ベントグラスに対する自信のなさは、この当時の苦い経験から生まれたのではないだろうか。

・ 井上誠一氏とグリーン

霞ヶ関のクラブ史の中で1954年、西コース設計を井上誠一氏に依頼とあり、さらに、1955 年の予算の中にベント床300万円、グリーン422万円、ハウス9380万円、という数字がでている。どうやらこの頃に、戦後の西の2グリーンが井上氏によって実現していたのだろう。
井上さんは、注意深い方で、1932年のベントグリーン全滅を経験されておられたから、2グリーンを採用なさったのだと思う。しかし、井上さんの理想は、勿論、1グリーンだった。
ベントは夏に弱いという説は嘘ではない。しかし、しっかりしたグリーン構造と高度なメンテナンスという二つの条件が揃えば問題はない。事実、米国の高温高湿地帯でも、ベント・グリーンばかりでなく、フェアウェイ、ラフにブルー・グラス、トールフェスキュー、レッドトップが広く使用されている。
USGA方式が、正式に発表されたのは、1960年である。そして、1970年になって、漸く完成に近い方式となった。残念ながら、この近代技術を井上さんは、日本で実現される機会がなかったのである。
現在、井上さんがご健在なら、何のためらいもなくベントの1グリーンとなさったろうし、そうであったら、世界に誇る日本のコースが生まれていたに違いないと信じるのである。

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(引用元:日本の2グリーンを考える 月刊ゴルフマネジメント Architect's Corner 2010 Aug

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