2. 何故、ゴルフコースは18ホール?

2010年9月14日 カテゴリー:The 19th Hole - Column

St Andrews(Old Course)の18ホール(1サークル)

St Andrews(Old Course)のダブルグリーン


色々な方が、諸説を紹介されています。ウイスキーをホール毎に1杯(ショット)飲むと、ボトルは18Hで空になるからというもっともらしいジョークも有名です。
今回、真面目に調べた結果を報告します。結論は、歴史のいたずらと言っても良いと思います。

最初のゴルフに関する公式な記録は、1502年スコットランドのPerthに現れます。
初期のゴルフコースは、ゴルフコース毎に様々なホール数でした。Leith Linksは1744年には5ホールコースでしたが後に2ホールが追加されました。
Montose Linksは1810年まで7ホールでしたが、1825年には、14ホール、1849年には11ホール、1866年には25ホールありました。
St Andrews(Old Course)は1764年までは12ホールでしたが、10ホールが2回プレイされる(INとOUT)ため、1ラウンドは22ホールでした。しかし、1764年に最初の4ホールが2ホールにまとめられたため、10ホールになりました。10ホールのうち8ホールは2回プレイされる(ダブルグリーン)ので、1ラウンドは18ホールになります。1857年には、真の意味で18ホールにするため、ダブルグリーンの8ホールに2つの穴をあけました。さらに、最初の9ホールと残りの9ホールを区別するため、異なった色のフラグ(旗)をたてました(しかし、18番は区別の必要がないため最初の9Hと同じ色でした)。コースレイアウトが示すように、OUTの9Hは最もクラブハウスから離れており、INでクラブハウスに戻ってくる1サークルレイアウトです。現在のように、OUTで1サークル、INで1サークルの2サークルが流行するのは20世紀に入ってからです。

St Andrews(Old Course)が18ホールになっても多くのゴルフコースでは異なるホール数でした。ではどのように18ホールが主流になっていったのでしょうか?
1872年から、the British Open golf champion が、Prestwick,  St Andrews そしてMusselburghの3コースで毎年交替で開催されるようになりました。
試合は36ホール以上で行われたので、Prestwickでの開催時は3ラウンド、St Andrewsでは2ラウンド、Musselburghでは4ラウンドで行われました。St Andrewsが最も評判が良かったようです。その結果、Prestwickは1882年に18ホールに改修されました。
また、1891年に東インド会社が、新たに作ったMuirfieldは18ホール構成でした。東インド会社がthe British Open golf championのスポンサーであっため、Musselburghでのthe British Open golf champion開催はMuirfieldに移動しました。この結果、the British Open golf championを開催する3コースがすべて18ホール構成になりました。

そして、1897年、St AndrewsのThe Royal and Ancient Golf Club が英国連邦のゴルフルールを管理することになったことが、18ホール構成の流れを強めたと思われます。
それでも、新たに作られるコースの多くは長らく9ホール構成でした。1933年には、18ホールがゴルフ競技のデファクト・スタンダードになりましたが、18ホール構成が正式なルールになったのはなんと1950年です。

(尚、本記事はScottish Golf History by Neil Laird を参考にしました。)