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お年玉年賀はがきについて

今週の1月19日(日)はお年玉付き年賀はがきの抽選日です。
新年のあいさつはEメールで済ませてしまう人が多くなっており、年賀状を出す機会が減ってきているようですが、やはり年賀状をもらうと新年の気分が盛り上がります。

年賀状の楽しみに一つに、お年玉くじがありますが、お年玉付き年賀はがきがいつからあったかご存知ですか? 1949年から販売されていたそうで、記念すべき第一回の賞品は特等が「ミシン」、1等が「純毛洋服地」、2等が「学童用グラブ」だったようです。
この時は寄付金付きのはがきだけにクジが付いていましたが、1956年からは寄付金なしのはがきにもクジが付くようになったそうです。

さてさて、気になる2014年年賀はがきのお年玉は…
 1等 現金1万円    33,936本(10万本に1本)
 2等 ふるさと小包  339,365本(1万本に1本)
 3等 切手シート  67,873,000本(100本に2本)

参考:お年玉賞品のご案内

昨年度の1等は100万本に1本でしたが、現金1万円が賞品になり、当選確率が上がっています。3等の切手シートは100枚中で2枚の当たりがあります。つまり、50枚の年賀状が来ていたとしたら1枚当たっている可能性があるということです。当たりの本数を見ていると、当たっている気がしてきませんか? 私はいつも当選番号と年賀はがきを見比べた際には、併せて来年の年賀はがきの下準備として住所録の整理をしています。
年賀状のメッセージをみて、近くの友人とは新年会の約束、学生時代の仲間とは同窓会を企画するのも面白いと思います。

新年は新たな気分でスタートしたいですね!

↓ 2014年 MASAの年賀状デザインです
お年玉年賀はがきについて
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ドイツフェスティバルに行ってきました

こんにちは。
衣替えの時期を過ぎても台風が発生するなど、寒暖の変化の激しい今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。
そろそろインフルエンザへの注意が必要な季節となりますが、私は先日かかりつけの病院で予防接種を受けてきました。皆様も体調管理には十分にご注意ください。

10月になると各地で秋祭りが行われておりますが、今回は「ドイツフェスティバル」に行ってまいりました。このイベントはドイツ連邦共和国大使館の主催で、日独交流150周年を迎えた2011年より行われているものです。
今年は10月11日から14日まで、都内の青山公園で行われました。東京メトロ乃木坂駅から青山公園方面に向かって歩くと、ドイツ国旗のお出迎え。
青山公園前にて
今回のお目当ては何と言っても本場のソーセージとビール。どのお店の前にも長蛇の列ができていました。
長蛇の列
今回私が選んだのは、ベルリン風カレーソーセージ。ソーセージを焼いてケチャップとカレー粉をかけただけという、実にシンプルな食べものなのですが、飽きのこないおいしさでドイツでは定番のファーストフードです。なお、ソーセージの付け合わせはマッシュポテトとザウアークラウト(キャベツの漬けもの)でした。
カレーソーセージとビール
また、会場内は屋台だけではなく、ドイツの名産品を売る露店や展示、ライブ演奏を楽しめるステージなどがあり、盛り上がっておりました。
会場の様子

さて、こんな感じで異文化に触れる機会ができると気になるのがその国のゴルフ事情。フォルクスワーゲンの車名にも「Golf」があるので盛んに行われているのかと思ったのですが、ドイツではゴルフはサッカーほどの人気はないようです。私は以前ドイツに住んでいたことがあるのですが、当時活躍していたドイツ人プロゴルファーといえばベルンハルト・ランガーくらいでした。
ドイツの風土の特徴として、緯度が高いために夏は日照時間が長く冬は短いというものがあります。夏は夜10時くらいまで明るいので、日没まで営業されているゴルフ場では平日のアフター5にゴルフを楽しむことも可能です(逆に冬はプレイ可能時間は大幅に短くなります)。
ゴルフ場の数も最近は増えており、日本人が多く住むデュッセルドルフ近郊には日本のゴルフ場(廣済堂インターナショナルGC)もあります。全体的にキャディーが付くことは少なくセルフプレイが基本なのでグリーンオンが活躍できそうな環境ですが、現在のところ適応コースはございません。ゴルフ発祥の地イギリスをはじめとしてヨーロッパのコースデータについても数々のご要望を頂いております。ご要望にお応えできるように取り組んで参りますので今後ともご期待ください。

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2020年東京オリンピック開催決定

朝晩が涼しくなり、以前よりは過ごしやすい日々が続いておりますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。

さて先週、2020年に東京でオリンピックが開催されることが決定し、日本中に歓喜が沸き起こりました。2016年のオリンピックで正式競技として復帰するゴルフですが、早くも東京オリンピック開催時のゴルフ会場が決定したことはご存じでしょうか?
その会場は、名門中の名門と言われる「霞ヶ関カンツリー倶楽部」で開催されます。

霞ヶ関カンツリー倶楽部
※ 画像はGDOさんからお借りしました

私のような関東地区に住んでいる人間にとっては近場ですので、チケットを手に入れられるか全く分かりませんが、チャンスがあれば是非とも観戦したいと思っています。

今までプロのトーナメントは何回も観戦に行ったことがあり、会場などの雰囲気は何となく分かりますが、オリンピックだと会場がどんな雰囲気になるのか想像も出来ません。異様な緊張感が漂っているのかもしれません。さらに国を背負うという使命があるのですから、もしかするとトーナメント時よりも更に真剣または鬼気迫るような選手の姿が見られるのかもしれません。想像が過ぎるとは思いますが、今から楽しみで仕方ありません。

当社が応援している有村プロも、もちろんオリンピック出場を視野に入れられていると思います。皆さんもご存じの通り、有村プロは今現在アメリカツアーを主戦場としています。賞金ランキングの上位を狙うと同時に、アメリカ女子ツアーにおいて日本人選手が獲得したことのない「ルーキーオブザイヤー」というタイトルを目指して頑張っているそうです。現時点ではランキングで3位につけているとのことで、ぜひとも日本人初の快挙を成し遂げてもらいたいと思います。
まずはこのタイトルを足掛かりに、ツアー優勝・賞金女王とステップアップをしてもらい、2020年東京オリンピックの舞台で活躍をして頂きたいと願っております。

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2グリーン方式の起源はいつ?

2グリーン方式の起源はいつ?

昼夜寒暖の差が激しくなってきました。私もうっかり風邪をひいてしまい、周りの方にうつすまいとマスクをして仕事をしています。社会人として一番基本的な体調管理を怠るとは、まだまだプロフェッショナルとは言えないですね。精進致します。

さて今回は日本特有のコース運用、2グリーン方式についてコースデータ担当者の立場からお話したいと思います。

グリーンオンのコースデータは専門の航空写真業者から上空から撮影したゴルフ場の写真を購入してデータを作成しています。今登録されているゴルフ場のほとんどはそのように作成していますが、稀に改修前の写真しかない場合にゴルフ場に行って実際に測定を行う必要があります。

今でこそ国内99%以上の適用ゴルフ場数を誇っているグリーンオンシリーズですが、以前は直接ゴルフ場にお願いして、現場測量のために当社スタッフがお邪魔していました。私もGPS受信機を持って、ラウンドしているゴルファーの邪魔にならないよう細心の注意を払って測定を行っていました。

お邪魔したゴルフ場の中で苦労したのが、2グリーンホールのあるコースです。グリーンオンに表示されるフロント、バック、センター3つのポイントで立ち止まり、GPS受信機で緯度経度を記録するのですが、グリーンが2つあるため、単純に倍のポイントが必要になってきます。しかも、ポイントを取得した後に、1グリーン化に改修される事もあり、せっかく取得したポイントを修正のために削除しなければならないこともありました。
日本特有の気候による運用方法とは言え、担当している身としては歯痒い部分がありますね。そのジレンマは、ゴルフを普及させようとした先人の方々も抱いていたようです。以下に「日本の2グリーン事始め」という月刊ゴルフマネジメントさんの記事がWebにありましたので、引用させて頂きました。私も拝読しましたが、非常に感銘を受けました。是非ご覧頂き過去の偉人達の足跡に触れてみてはいかがでしょうか?

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■ 日本の2グリーン事始め(金田 武明)

2グリーン・コースが存在するだけでなく、公式競技の場として市民権をもっているのはゴルフ先進国の中では日本しかない。
確かに2グリーンの存在理由はある。Transitionゾーンでは、寒冷芝には夏の高温、高湿がきつく、コーライ芝の休息期間(秋から春)が長過ぎる。

・ 日本式と米国式

日本では2グリーンが発達し、米国ではグリーン構造そのものを根本的に研究したこの二つの国の考え方は妙な例えだが蚊への対処でも大きく異なる。日本は蚊に対して美しい蚊張を考え、蚊張の装飾に贅をこらした。米国は蚊そのものの発生原因をつきとめ、水たまりの処置、殺虫剤を開発した。
これと似た考え方が、日本の2グリーンであり、米国は60年の年月をかけて開発したUSGA方式だった。長年の研究蓄積の成果であるUSGA方式の導入によって、日本のゴルフ界もよりよいグリーンが存在するようになった。

・ 日本でのエバーグリーン

戦前のエバーグリーンといえば相馬孟胤子爵の名をあげねばならない。1929年、東京クラブのグリーン委員長を仰せつかった相馬は、以前にもまして、コース、特に芝生に責任を感じ始めた。
コースを歩き回って観察するのが相馬の日課になっていたようだ。そして、その年の11月末、枯れた芝草の中に常緑芝をみつけたのである。後日わかったことだが、1919年頃、岩崎小弥太男爵が、英国から洋芝の種子をとりよせ、何となくあちこちに播いた芝生の生き残りだった。相馬氏は、常緑芝を採収し培養し、翌年その種子を帝国大学植物学教室で鑑定を受けた。これが、日本でのエバーグリーン研究のはじまりだった。
偶然にも、この年(1930年)12月1日にチヤールス・アリスンが日本に到着した。目的は、東京クラブの新設コース、朝霞コース設計のためだった。

・ 霞ヶ関西コースのベント・グリーン

霞ヶ関の発足は予想以上の会員数を得たため、1930年には西コース造成案が提出され、しかもクリーピング・ベントのグリーンという画期的なものだった。
相馬氏の知識は高かったが、現実には、霞ヶ関の西コースのベントグリーンが、初の本格的な作業だったと考えられる。
相馬氏は芝生の種類を決定するにあたり、過去5年間の気象条件をアメリカに送り、リコメンデーションを依頼している。結局、このほかにも、駒沢での実験の結果を考え、慎重に種子を選んでいる。

・ 日本のエバーグリーン元年

1932年は、日本でエバーグリーンが美しい姿を見せ、ゴルファーを魅了した年だった。しかし、残念なことに、エバーグリーン元年は、その夏の酷暑のおかげで2グリーン元年にもなってしまった。

1932年
朝霞 5月開場 8月ブラウン・パッチ発生
霞ヶ関・西 6月完成 8月全滅
広野 6月19日開場 8月問題発生
相模 4月グリーン播種 8月全滅

東京クラブは、ブラウン・パッチが発生したものの、相馬氏の献身的なる努力のおかげで若干延命した。しかし、霞ケ閑は、ベントグリーンを直ちに閉鎖し、西コースに高麗芝の第二グリーンを造成するのである。
朝霞コースは、1934年にコーライ芝のサマーグリーンを造成したが、相馬氏は断腸のおもいだったようだ。相模は32年、8月にグリーンが全滅すると、すぐに自生芝、絹芝を養生して予備グリーンをつくりナーセリーでケンタッキー・ブルーの成育にも成功した。
1935年になって、霞ヶ関は、本グリーンをコーライ芝とし、第二グリーンをベント芝という2グリーンのパターンをつくりあげた。

・ 36年2月23日、相馬氏の急逝

エバーグリーンの大黒柱で羅針盤だった相馬氏の急逝は、ゴルフ界にとって大きな衝撃。しかもその3日後、2・26事件が起こった。
社会環境はゴルフにとって悲観的なものに急変して行く。このクーデターは大雪の中だったことは、私も記憶しているが、霞ヶ関東コースの雪は50日間も融けなかった。暑さに弱いベントだけでなく寒さに弱いコーライ芝を経験することになった。
TransitionZoneの難しさを急に経験したのが、日本のゴルフ界だったのである。ベントグラスに対する自信のなさは、この当時の苦い経験から生まれたのではないだろうか。

・ 井上誠一氏とグリーン

霞ヶ関のクラブ史の中で1954年、西コース設計を井上誠一氏に依頼とあり、さらに、1955 年の予算の中にベント床300万円、グリーン422万円、ハウス9380万円、という数字がでている。どうやらこの頃に、戦後の西の2グリーンが井上氏によって実現していたのだろう。
井上さんは、注意深い方で、1932年のベントグリーン全滅を経験されておられたから、2グリーンを採用なさったのだと思う。しかし、井上さんの理想は、勿論、1グリーンだった。
ベントは夏に弱いという説は嘘ではない。しかし、しっかりしたグリーン構造と高度なメンテナンスという二つの条件が揃えば問題はない。事実、米国の高温高湿地帯でも、ベント・グリーンばかりでなく、フェアウェイ、ラフにブルー・グラス、トールフェスキュー、レッドトップが広く使用されている。
USGA方式が、正式に発表されたのは、1960年である。そして、1970年になって、漸く完成に近い方式となった。残念ながら、この近代技術を井上さんは、日本で実現される機会がなかったのである。
現在、井上さんがご健在なら、何のためらいもなくベントの1グリーンとなさったろうし、そうであったら、世界に誇る日本のコースが生まれていたに違いないと信じるのである。

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(引用元:日本の2グリーンを考える 月刊ゴルフマネジメント Architect's Corner 2010 Aug

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将棋の言葉

最近は将棋を指す機会もめっきり減りましたが、将棋を趣味としておりますので、将棋由来の言葉を紹介していきたいと思います。
時々、一般的な用語として使われることもありますので、少しは参考になればと思っております。

将棋の言葉

・ 王手(チェック)

「次の手で王将(キング)をとるぞ」という脅迫の意味があり、その脅迫を受けた側は「王手(チェック)された」「王手がかかった」状態となります。
一般的な意味では、追いつめられた状態を示しています。

・ 詰み(チェックメイト)

王手の中で絶対に逃れる事ができない形があり、それを「詰み」(チェックメイト)と言います。つまり「詰み」とは王手の形の一つであり、その中で最も厳しい物を指しています。
一般的な意味では、完全に行き詰まって動きのつかない状況を言います。

・ 頓死

詰まないはずが逃げ方を誤ったりして詰まされてしまう場合と、もう一つ、単純に自玉に詰めがかかっているのをうっかりして違う手を指し、呆気なく詰まされてしまった場合についても同様に「トン死」という表現を使います。
一般的な意味では、あと一歩で勝利を得る直前で逆転負けをすることを言います。

・ 一歩千金

「一番弱い歩でも局面によっては、金以上の必要性を示すこともあり、だから、たかが歩と簡単に考えてはならないということです。
一般的な意味では、平の人でも状況によっては大きな役割を果たすことがある意味でつかわれます。

・ 将棋倒し

将棋の駒を立てて並べ、1枚を倒すと隣の駒にぶつかって隣の駒が倒れ、続いてその隣の駒が倒れるというように連鎖的に駒が倒れていくようにして遊びます。
ドミノ倒しを将棋の駒で行ったものであるが、日本での将棋倒しの歴史はドミノ倒しよりも遥かに古いです。

・ ヘボ将棋 王より飛車を かわいがる

いくら飛車が強力な駒であっても、玉が取られては勝負が終わってしまうので、玉を王手から防ぐことが必要で飛車を取られることは諦めなければならないこと。
ことわざではなく川柳です。明治の頃の落語家さんが作り、落語の中で使われて世間に広まりました。下手な将棋では、王手飛車取りとなった時に、「どっこいそうは行くかいってんで」と飛車が逃げるのです。落語『浮世床』にあるギャグを、そのまま川柳にしたもので、元祖は落語です。

・ 終盤は駒の損得より速度

終盤は駒を多く取るよりも早く玉を寄せることに注意を払うほうがよいということ。
将棋は相手の王様を取り合うゲームです。駒を取ることは有利に将棋を進めるためには必要なことですが、王様を取るという目的を忘れてはいけないとの意味です。

・ 敵の打ちたいところに打て

敵の打ちたいところにこちらから先に駒を打つことによって、相手の手段を消すことができるということ。敵にとっての要所は、自分にとっての要所でもあります。
普段の仕事においても、相手の立場から物を見ることにより、重要な点が判ることがあります。

最近の将棋界の話題としては、プロ棋士とコンピュータの対局があります。
今回の対決ではコンピュータ側の勝ち越しとなりましたが、この先はどうなっていくのでょうか? チェスに於いては、コンピュータが人を凌駕しつつあるようです。

私たち庶民にとっては、縁台で口三味線を弾きながら、時々「待った」をしつつ将棋を指すのが良いのでしょうね。

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