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ゴルフ場にやさしいティーの話 (第二回)

第一回の内容はこちら

先に、掲題のタイトルで、間伐材から作った本当に土に還るティーのことを書きました。
ゴルフはマナーのスポーツですから、多少高くても、本当に生分解性が100%あるなら多くのゴルファーは賛同してくれるとの声を多くの方から頂きました。また、どの道なら、芝から作ったティーの方が、「芝から作って芝に還る」のコンセプトで面白いとの声もいただきました。そこで、芝から作ってみました。

GPSログ

このティーを使って試打をしましたが、ドライバーの衝撃で簡単に折れてしまうのでは、いくら芝から作っているとは言っても使ってもらえないので、生分解性の樹脂を混ぜて、耐衝撃性を高めています。このため、相溶材(つなぎ)が2-3%含まれ、正確には生分解性は約98%です。
間伐材から作ったピンクのハートティーと芝から作ったグリーンのハートティーを、GreenOnのノベルティーとして、グリーンオンユーザ(ご感想等を掲載させて頂いた方々)にプレゼントする予定です。お楽しみに。

末永

GPSログ
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空気は読む物?

数年前からKY、空気を読めない、という言葉が若い人の間で使われるようになりました。その場の空気を感じられない人が増えたのでしょうか?

私の世代は、「空気」という言葉は、イザヤ・ペンダサン(山本七平のペンネームと言われている)の「日本人とユダヤ人」を思い起こさせます。この本は、日本人が無意識のうちに行動している行動様式を強烈に自覚させてくれた本で、当時は大ベストセラーになりました。彼は、その日本人の行動様式を「日本教」と呼んでいます。「日本教」のキーワードは、人間と空気です。仲間内の会議でもでも、会社の会議でも、国家の方針を決める会議でも、その時のその場の「空気」が決める。自分は反対だが反対できない空気、日本教の教徒は「空気」を無意識に感じ行動する。日本には、色々な宗教、政治、思想を主張する日本人集団がある、しかし、日本人である限りその集団の一員である前に、この日本教の教徒でもある。彼の指摘は現在でも通用すると思います。

日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)


KYと言う言葉の流行は、日本教徒ではない人種の出現の表れでしょうか、それとも日本教徒だからこその現象でしょうか?

末永

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天才は冬に生まれる

先日、ハイゼンベルグの不確定原理が常には成立しない実験結果が報告され新聞で大きく報道されました。ハイゼンベルグの講演を聞いたことがあり(聞いただけで意味の理解は??でした)時の流れを感じました。そして、何故か、昔読んだ「天才は冬に生まれる」という本の題名を思い起こしました。ハイゼンベルグは12月生まれです。

不確定原理

本の著作者は、ニュートン、コペルニクス、アインシュタイン、ラマヌジャン、ノイマンそしてホーキンズという、誰もが知っている天才科学者たちは何故か冬に生まれている。それは単なる偶然ではなく、脳の形成過程において温度環境が大きく作用し、冬は脳の形成にかかわる胎内環境を最適にするからと言っています。

初めに述べた不確定性原理の反例ではないですが、私の周りにも多くの反例の友人をすぐに思い浮かべられるので、「天才は冬に生まれる」がどこまで有意性があるかは分かりませんが、偶然以上の何かが本当にあるのかもしれません。因みに、私は11月生まれです。早すぎた冬に生まれたようです。

末永

あなたは冬生まれですか?

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角が取れて丸くなる話

私も、「角が取れて丸くなりましたね。」と言われても良い年になってきました。
角が取れるとは「人柄が円熟して穏やかになる。」(広辞苑)意味ですが、何故か、褒め言葉に聞こえません。
角が取れたと言う言い方は、金平糖のごつごつした突起が摩擦で無くなり、小さな球形になったイメージです。言わば、長い期間世間の荒波にもまれて、角(個性)が取れて小さくまとまった感があります。
人が年を重ね、円熟して角が取れるとは、金平糖の突起の間が人生の経験により埋まるイメージで、突起(個性)はそのままに一回り大きな球形に成長することと思いたいし、そう有りたいと思います。より大きな突起(個性が)がある人は、より大きな球になれる可能性があります。個性を伸ばし、経験を重ねて、大きな球に成長しましょう。

所で、金平糖は日本語ではなくポルトガル語のCONFEITO(コンフェイト)が伝来したもので、伝来当時突起は無く球形であったようです。それを日本の職人が手を加え、突起(個性)を成長させ現在のような金平糖に進化させたそうです。突起の数は24個だそうですが、この突起は一体どのくらいの長さまで成長させられるのか興味があります。

金平糖

人生も金平糖のように甘いといいのですが・・。

末永

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1年の計は元旦にあり

明けましておめでとうございます。

毎年、今年は、今年こそは、これをしよう、あれを実現しようと、目標を立て計画を作ることを皆様もされていることと思います。
でも、それを実際に実行し実現することは中々できません。何故でしょうか?

目標自体が願望の類で、その実現への思いがそれ程熱くない場合もあると思います。あるいは、実現への熱い思いはあって、一所懸命頑張っても結果が出ない場合もあると思います。それでも先人は、「一年の計は元旦にあり」と、1年中の計画を年の初めに決めておくのが良いとしています。

年の初めの1月は、英語ではJanuary、Janusの月といいます。Janusとは、「古代ローマの神、最初は戸口の神で、全ての行動の初めを司る。前うしろに2つの顔を持った姿で表わされる。」(広辞苑)です。物事には表と裏がある。行動の初めにはこの2つの顔で考えて計画をたてなさいと言うことです。

↓コインに描かれたヤーヌス神“Janus”
コインに描かれたヤーヌス神“Janus”

日本では、1月を睦月と呼びます。即ち、睦び(挨拶や親睦を行う)をする月です。何事を始めるにも、先ずは仲か良くしてからということで、和を尊ぶ日本らしいいですね。

皆さんの今年一年は、睦びの月で始めますか、それとも、Janusの月で始めますか?

末永

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