連日ロシアによるウクライナ侵攻のニュースが報道されています。現代の日本で生活しているととても現実の事とは思えませんが、世界ではそんな厳しい状況が起こり得ることに改めて考えさせられます。
私の住んでいる東京北区も今では平和そのものの街ですが、戦時中には大日本帝国陸軍の東京兵器補給廠と言われる広大な軍事施設があり、第二次世界大戦後にはこの地がアメリカ軍に接収されて通称「キャンプ王子」と呼ばれる米軍施設がありました。ベトナム戦争のときには野戦病院が開設されていたそうです。
そんな過去のあった東京北区では「北区平和マップ」と言う当時の施設跡をめぐるマップが配布されています。今回はこのマップの「王子・十条コース」を巡ってみました。
スタートはこちら。ここは戦時中の施設の場所ではないのですが「北とぴあ」の正面に平和を願うシンボルとして設置されています。どこかで見覚えがあると感じた方もいらっしゃると思いますが、長崎の「平和記念像」をもとに北村西望氏により制作されたものだそうです。
王子稲荷神社、名主の滝公園の前を通り過ぎて次の場所に向かいます。
この写真ではわかりにくいですが、当時の軍用貨物線跨線橋跡だそうです。当時は軍用施設からの物資を運ぶ貨物線が敷かれていたそうです。
こちらは陸上自衛隊十条駐屯地。戦時中に兵器製造施設が置かれていたそうです。
自衛隊駐屯地わきの公園の一角に慰霊碑がありました。
自衛隊駐屯地わきの道路は遊歩道として整備されており、その先には北区立中央図書館があります。当時の赤レンガの建物とコンクリート造りの新しい建物が融合した作りです。開館当初は赤レンガ図書館としてマスコミにも取り上げられました。
さらにその先に北区中央公園があります。
まさにこの場所がベトナム戦争時に野戦病院が開設された場所で、この前で野戦病院開設に反対する学生たちと警官隊との攻防が繰り広げられたそうです。現在ではみどり豊かな公園となっており、野球場やテニスコートも整備されているため、この日も少年野球チームの練習やテニスの試合が行われていました。まさに平和そのものの風景で当時の面影はほとんどありませんが、一つ当時の名残がありました。
当時のボイラーの一部と銘板だそうです。
戦時中の施設があった場所を巡ってみましたが、つくづく平和な世の中に生きていることを幸せに思います。自分の周りに限らずに世界中平和に過ごせることを願うばかりです。